鮨処なごやか亭

株式会社三ツ星レストランシステム

人生の方程式  その三

人生の方程式のポイント説明 その三 です。

 

6.考え方こそが人生を決め、運命を変える

 

人生の方程式における「考え方」についての要点です。

 

『たしかに、どんな考え方を持つのも自由だと思います。しかし、その自由のなかで自分がどのような考え方を選択するかによって、自分の人生、運命が決まってしまう、そこまで分かっている人が、果たしてどれだけいるでしょうか。この方程式からいえば、自由である考え方、自由である心、自由である思想、哲学、その選び方によって、運命は一八〇度変わってしまうわけです。』という教えです。要は、「どんな考え方をしても自由だけれど、それによってあなたの運命が決められるのです」ということを分かっていただけるかどうかということが大事なポイントかと思います。このことを、学校でも、会社でも、教えてくれないのが現実です。

 

『今述べてきたようなこと、つまり「良い心」「悪い心」とはどんなものかということは、元来、宗教や、道徳倫理などの教育が教えてきたものです。ところが、近代に入ってから、我々は宗教にあまり重きをおかなくなり、戦後教育でも宗教を離れてこそ真のインテリだと言われて育ってきました。』と稲盛和夫氏は仰っています。『それがなされていないがために、どんな考え方をしようと、それは知的な意識の遊びであって、自分の人生とリンクしているわけではない、と考えている人が多い。そして、考え方がそのまま人生に現れる、つまり、人生は心に描いた通りになる、ということを信じていないために、この人生方程式も信じようとしないわけです。』と稲盛和夫氏は仰っています。

 

稲盛和夫氏は、中村天風さんの言葉を引用してお話をすることがあります。その天風さんの言葉は次の様です。「自分には輝くような未来が待っているのだ、素晴らしく明るくて、幸せな人生が拓けえていくのだと、それをただ一点、建設的に、ポジテイブに、前向きに思い、明るく人生を考えなさい。決して陰々滅々とした暗い思いを持ってはなりません」という教えです。

 

『我々凡人に対しても分かりやすいように、「明るく前向きに考えていきなさい」と、単純な言葉で諭しておられるわけです。』と説明をして下さっています。また、稲盛和夫氏は、『陰隲録(中国明代の古書の逸話)』を引用され、「人生はあらかじめ決まっているものではない。たしかに人間には運命というものがあるかもしれないが、それは宿命ではなく、変えようと思えばかえられるのだ』と教えで下さっています。

 

7.フィロソフィは、血肉化しなければ意味がない

 

稲盛和夫氏がいつも私たちに説いて下さっているお言葉です。

『私の話を血肉化し、自分の思想、理念、哲学まで高めていなければ、それはまだ自分の「考え方」になっていないのです。たとえ無意識であっても、その考え方で行動できるようにならなければいけません。フィロソフィの内容を何度も反芻し、皆さんの中で血肉化していくように努めていただきたいと思います。』という塾長の言葉を常に心に刻みたいと思います。

 

皆様が、人生の方程式を血肉化し実践されて、より素晴らしい人生をおくられることを切に願います。

人生の方程式   その二

前回に続き、人生の方程式についてのお話です。

 

4.マイナスの考え方で生きれば人生の結果もマイナスになる

 

 

人生の方程式が、足し算ではなくどうしても掛け算でなければならない理由を、1970年に赤軍派が起こした「よど号ハイジャック事件」の青年の例を考えてみます。事件詳細のご説明は皆様ご自身でご確認を頂きたいと思いますが、稲盛和夫氏の次の言葉がマイナスの考え方の人生における評価を要約しています。

 

『ここにおられる皆さんのなかにも、若い頃、燃えるような正義感を持ち、不平等で矛盾だらけのこの腐敗した世の中を改革したい、みんなが楽しく過ごせる平等な社会を作りたい、と思っていた方がたくさんおられるでしょう。私もその一人でした。そういう思いを抱いていた人間の一部が過激派に走り、テロを通じて世の中を変えていこうとした。それがあの日本赤軍だったのです。』

 

『若い頃は正義感にあふれ、素晴らしい能力も熱意もあった青年が、自分のたった一回しかない人生を、たとえわずかであってもマイナスの考え方を持ったために棒に振ってしまう。このような例を見ても、「考え方」はたいへんに大事なものだと改めて思います。』と稲盛和夫氏は仰っています。

 

 

5.「良い心」と「悪い心」

 

稲盛和夫氏は次のように仰っています。『方程式のなかの「能力」を「才能」という言葉で言い換えることもあります。(中略)才能を使うのは「心」です。(中略)その意味でも、心、あるいは「考え方」はとても大事なのです。

 

しからば、この方程式で言っている「考え方」とは何なのか。それは、福沢諭吉の言う「哲学」という意味でもありますし、今の話のように「心」と言っても構わないでしょう。または、「思想」「理念」「信念」などと置き換えてもいいでしょうし、あるいは人間の「良心」と言ってもいいかもしれません。そういうものを総じて「考え方」と呼ぶわけです』

 

と、人生の方程式における「考え方」について説明をして下さっています。そして、「考え方」はプラスの方向の「良い心」であると説明をしてくださり、

 

 

『つまり、さきほどの方程式は、「良い心×熱意×能力」と言ったほうがわかりやすいのかもしれません。』

 

と教えて下さっています。ここで、哲学者などが定義をしてくれていないようなので、稲盛和夫氏が良い心の定義をして下さっています。この定義は、人生の方程式の「考え方」を語る上で、たいへんに大切な教えと考えます。

 

 

良い心とは、『常に前向きで、建設的であること。みんなと一緒に仕事をしようと考える協調性をもっていること。明るいこと。肯定的であること。善意に満ちていること。思いやりがあって、優しいこと。真面目で、正直で謙虚で、努力家であること。利己的でなく強欲でないこと。「足る」を知っていること。そして、感謝の心をもっていること。』と教えて下さっています。この反対が悪い心です。

 

 

この「良い心」については、フィロソフィの学び8月21日投稿文でも触れています。

人生の方程式についてのお話は次回に続きます。

 

人生の方程式  その一

今回のフィロソフィの学びは、人生の方程式についてです。何回かに分け、じっくりと学んでいきたいと思います。(今回の学びは、機関紙32号塾長講話『京セラフィロソフィ』の真髄をひもとく)を基にしています。

 

まず、人生の方程式についての京セラフィロソフィ原文は下記の通りです。

 

『「人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力」

 

人生や仕事の結果は、考え方・熱意・能力の3つの要素の掛け算で決まります。このうち能力と熱意は、それぞれ0点から100点まであり、これが積で掛かるので、能力を鼻にかけ努力を怠った人よりは、自分には普通の能力しかないと思って誰よりも努力した人の方が、はるかにすばらしい結果を残すことができます。これに考え方が掛かります。考え方とは生きる姿勢でありマイナス100点からプラス100点まであります。考え方次第で人生や仕事の結果は180度変わってくるのです。そこで、能力や熱意とともに、人間としての正しい考え方をもつことが何よりも大切になるのです。』

 

学びのポイントをいくつかご紹介します。

 

  1. 最初に「熱意」と「考え方」の大切さに気付く

『自分のようなそんなに優れた能力を持っているわけでもない人間が立派な仕事をしようと思えば何が必要なのだろう、と考えた私が、思い付いたのは「熱意」でした。熱意というものが大事だろうとまず気付き、その次に「考え方』の重要性に気が付いたのです。』という教えです。物事を成し遂げるためには、まずは「熱意」ありきであり、成し遂げることがまず先にあり、次に「考え方」ですよと稲盛和夫氏は、仰っています。考え方だけ先行しても何も成し遂げることはできません。まずは、「熱意×能力」により、物事を成し遂げることが必要であり、良き心をもって成し遂げることが必要ですよと教えて下さっています。

 

2.人生の方向はプラスからマイナスまで一直線上にある

 

『私の人生の方程式では、能力と熱意はゼロから100までで示されます。しかし、考え方だけは、マイナス100からプラス100までとなっています。この「考え方」とは、「人生を歩いていくための方向みたいなものだと考えればいいと思います。これは、東西南北というような全方位を言うのではなく、水平線の方向、つまり、ゼロを基点にしてこちらに100、その反対側に100、というような方向です。人生、どっちへ向かって歩いてもいいと考えられるかもしれませんが、そうではなくて、人生というのは一直線になっていて、プラスに向いて歩くか、マイナスに向いて歩くかという、単純な二方向しかないのです。自分の考え方がプラス側に10なのか、50なのか、あるいは100なのか、それがポイントになるわけです。この方程式は、掛け算になっていますから、たとえば頭が優秀で運動神経も発達し、たいへん高い能力の持ち主が、熱意をもち誰にも負けない努力をしているとします。ところが、その人がちょっとでもマイナスの考え方をもっていたとしたら、掛け算ですから、答え、つまり人生の結果は大きなマイナスになってしまうのです。』

 

3.福沢諭吉の説く企業人のあるべき姿

 

福沢諭吉の言葉に触れて、稲盛和夫氏が人生の方程式の大切さを改めて思われました。

 

『思想の深淵なるは哲学者のごとく、

心術の高尚正直なるは元禄武士のごとくにして、

これに加うるに小俗吏の才をもってし、

さらにこれに加うるに土百姓の身体をもってして、

はじめて実業社会の大人たるべし』

 

哲学者のごとく =深い思想の持ち主であること                  ⇒「考え方」

元禄武士の如く =武士が中と義に生きたように高尚で正直な心根を持っていること  ⇒「考え方」

小俗吏の才 =賄賂のやり取りをしたり、悪いことをして権力を誇示していた明治維新

の下っ端役人、俗物役人を指す、悪賢いとも言える才能を持っていること     ⇒「能力」

土百姓の身体 = 頑健な身体は、誰にも負けない努力をする        ⇒「熱意」

 

『上記の福沢諭吉の言葉からも、「考え方」、「熱意」、「能力」の三つの要素はたいへん大事なのだと私は改めて思いました。』と稲盛和夫氏は仰っています。

 

(人生の方程式についてのお話は次回に続きます)

 

思いは必ず実現する

すでに、フィロソフィの学びにおいて、『「人生は心に描く「思い」によって決まる』といテーマで、「思い」の大切さをお話させて頂いています。今回は、「思いは必ず実現するというテーマで「思い」の持つ偉大な力についてお話をさせて頂きます。(この文章は2014年9月4日「盛和塾第22回世界大会の稲盛和夫氏講話の一部抜粋引用です」

 

「思い」の持つ偉大な力について

 

一般的には、物事を考える、つまり頭で考えることが大事であり、逆に「思う」ということは、誰でもできるので、たいしたことではないと捉えられています、しかし、この「思う」ことは、考えることよりもはるかに大事なものです。我々が生きていく中で、「思う」ことほど大きな力を持つものはありません。なぜならば、「思う」ということが、人間のあらゆる行動の源になっているからです。

 

そのことを明らかにしているのが、現代の文明社会です。今から約二百五十年前にイギリスで起こった産業革命を機に、人類は近代的な文明社会を築いていきました。それは、人類の「思い」から生まれたものです。(中略)

 

なぜ、これほどまでに科学技術が発達したのでしょうか。それはとりもなおさず、人間が本来持っている「思い」というものがもとになっています。

 

人は誰でも、「こうしたい」「こんなものがあったら便利だ」「もしこういうことが可能ならば」という「思い」が、心に浮かんできます。例えば、今までは歩いたり走ったりしていたところを、「もっと速く、便利に移動する方法はないだろうか」と「思い」、そこから「新しい乗り物が欲しい」という、夢のような「思い」を抱くようになります。

 

そして、その夢のような「思い」が強い動機となって、実際に新しい乗り物をつくっていきます。何度も失敗を繰り返しながら、新しい乗り物をつくり出していくのです。そのようにして、ある人は自転車というものを考案しました。ある人は自動車を発明し、またある人は飛行機をつくりました。

 

そうした具体的なものを発明するには、頭で考えて研究をしなければいけませんが、その発端となるのは、心の中にフッと湧いた「思いつき」です。一般には「そんな思いつきで、ものを言うな」とよく言われるように、「思いつき」というのは軽いことだと思われがちです。しかし、実はその「思いつき」こそが非常に大事なのです。人の心に浮かんだ様々な「思いつき」が、発明・発見の原動力となり、今日の科学技術を生み出したのです。

 

このように、「思う」ことは物事の出発点となります。人間の行動は、まず心に「思う」ことから始まるわけです。それがなければ、人間は何も行動を起こすことができません。多くの人は「思う」ことを簡単なことだと捉え、軽んじていますが、「思う」ことほど大事なものは他にありません。

 

「思い」が人格、人柄を形成し、境遇、運命を決める

 

この「思う」ということは、目に見える今日の文明社会を築き上げているだけではなく、目に見えない我々の人格、人柄を形づくる力を持っています。我々が毎日の生活を送る中で抱く「思い」の集積されたものが、我々の人格、人柄を形成しているのです。

 

えげつない利己的な「思い」をずっとめぐらせている人は、その「思い」と同じ、えげつない利己的な人格、人柄になっていきます。逆に、思いやりに満ちたやさしい「思い」を抱いている人は、知らず知らずのうちに、思いやりにあふれた人格、人柄になっていきます。「思い」というのは、ことほどさように、私たちの中で非常に大きな影響を及ぼしているわけです。

 

さらに、「思い」はもう一つ、大きな役割をもっています。それは、「思い」の集積されたものが、その人の運命をつくっていると言っても過言ではありません。

 

イギリスの哲学者ジェームズ・アレンは、「人間は思いの主人であり、人格の製作者であり、環境と運命の設計者である」と言っています。その人の周辺に何が起こっており、そして現在どんな境遇にあるのか。それはまさに、今までその人がずっと心に抱いてきた、「思い」が集積されたものです。ですから、「「私は不幸な運命のもとに生まれた人間なんだ」とひがんだところで、何の意味もありません。その運命は他人が押しつけたものでもなければ、自然がもたらしたものでもなく、他でもない、自分自身の「思い」がつくり出したものだからです。

 

このような、人類と社会にとってきわめて大事な「思い」がでてくるのは、先にお話をした通り、我々の心です。そこで、次に考えなくてはならないのは、その「思い」の出てくる心というのは、いったいどうなっているのかということです。』

 

その心については、すでに、このフィロソフィの学び「心の構造図」におきまして、ご説明をさせて頂いています。ここで、そのフィロソフィの学びのタイトル(「心の構造図」)を紹介させて頂き、今回のお話を締めさせて頂きます。ぜひ、「心の構造図」を読んで頂きますようにお願いします。

 

幸福をもたらす心のあり方、  -利他の心―

稲盛和夫氏の説かれる「フィロソフィ」の素晴らしさの根拠の一つ、日本航空の再生という実績で教えて下さった「利他の心」についてのお話を講話抜粋文章の引用でご紹介させて頂きます。(機関紙125号塾長講話抜粋)

 

『私は、日本経済を再生するため、日本航空に残る社員の雇用を守るため、利用者である日本国民の利便性をはかるためという、日本航空再建を引き受けた理由、言わば「大義」のために、老骨にむち打ち、無報酬で全身全霊を傾けて再建に取り組んできました。社員たちも、同じ思いになってくれ、再建に向けて懸命に取り組んでくれました。そのような利他の心だけで懸命な努力を捧げている私たちの姿を見て、神様、あるいは天が哀れに思い、手を差し伸べてくれたのではないだろうか。私には、そう思えてならないのです。そうした「神のご加護」なくして、あのような奇跡的な回復などできるはずがないと思うのです。

 

あるいは、次のように表現することもできるかもしれません。利他の心は、自力を超えた力、いわば「他力」の風を味方にすることができるのです。

 

人生を、大海原を旅する航海にたとえるならば、我々は思い通りの人生を送るためには、必死で自力で船を漕がなければなりませんが、それだけでは遠くにたどり着くことはあまり期待できません。船の前進を助けてくれる他力の風を受けるための準備をしなければなりません。

 

私は、帆を張って他力の風を待つときの、その帆を張るという行為が、自分の心を美しい心に磨いていく営みそのものではないかと思います。

 

考えてみればこの世の中に自力でやれることはそう多くありません。他力を受けなければできないことがほとんどです。けれども、他力を受けるためには自力で帆を揚げなくてはいけない。その帆を揚げる作業とは、自分自身の心をきれいにして、利己まみれの心ではなく、「他に善かれかし」という美しい心にすることです。つまり利他の心を持つということです。

 

「俺が俺が」という利己の心で揚げた帆は、穴だらけです。よしんば他力の風がいくら吹いても、帆は穴が空いていますから通り過ぎてしまいますし、船は決して力を得ることはできません。それに対して、利他の心で掲げた帆は穴が空いていないすばらしい帆です。必ず他力の風を受けられます。

 

そのことを、日本航空の再生が証明しています。日本航空だけではありません。八十一年にわたる人生のなかで、私はそうした経験を幾多もしてきました。それだけに、利己的な欲望を抑え、美しい利他の心を発揮させていくことが、幸福をもたらすベースだと信じています。

 

この世界には、常に我々を幸せにしていく風、つまり他力の風が吹いています。その他力の風を帆に受けるためには、立派な帆を張らなければなりませんが、帆はその人の心の状態でつくられるものです。利己的な欲望ではなく、利他の美しい心、他に善かれかしという慈悲の心で帆を張れば、自然と、この世界に吹いている神秘的なすばらしい力を得ることができます。これは神様から来る力かもしれませんし、宇宙から来る力かもしれません。そのような他力を帆にたくさん受けることで、自力で漕ぐ力以上の仕事ができ、人生を全うすることができます』

 

大変に分かりやすい素晴らしい「利他の心」についてのお話だったかと思います。他力の風を受けて、より幸せになることができるように、自分の心を美しい心に磨いていく努力をしていきましょう。

幸福をもたらす心のあり方

真の幸福をもたらす心のあり方について「勤勉」「感謝」「謙虚」をキーワードに、稲盛和夫氏自身の経験と京セラの歩みを紹介して頂きながらお話を頂いておりますが、ここでは、心のあり方を主としたお話を紹介させて頂きます。

 

『結局のところ、幸福かどうかは主観的なものであり、その人の心のあり方によって決まるのだと私は思っています。

物質的にいかに恵まれていようとも、際限のない欲望を追いかけ続けていれば、決して幸せを感じることはできません。一方、物質的に恵まれず、赤貧を洗うような状態であっても、満ち足りた心があれば幸せになれるのです。

ですから、幸せかどうかは、人の心の状態によって変わってくるのであり、「こういう条件であれば幸せだ」という普遍的な基準はないと私は思っています。

そうすると、幸せとは一体何なのか。それは、端的に言えば、幸せを感じられる心をつくっていくことなのだと思います。

私は皆さんに「心を高めること、魂を磨くことがこの人生の目的です」と言っています。それは言葉を換えれば、死ぬときに「何と幸せな人生だったのだろう」と感じるように、自らの心をつくっていくことなのです。そうした、幸せを感じる「美しい心」が無ければ、決して幸せになることはできないと思います。

仏の教えに、「足るを知る」ということがあるように、膨れ上がる欲望を満たそうとしている限り、幸福感は得られません、反省ある日々を送ることで、際限のない欲望を抑制し、今あることに感謝し、誠実に努力を重ねていく。そのような生き方の中でこそ、幸せを感じられるのだと思います。

人間には、百八つの煩悩があると言われています。この煩悩が人間を苦しめている元凶だとお釈迦様は説かれたわけですが、中でも最も強い煩悩として「欲望」「愚痴」「怒り」という三毒があげられています。

我々人間というものは、この三毒にとらわれて日々を送っているような生き物です。人よりもいい生活をしたい、楽して儲けたい、早く出世したい。こういう物欲や名誉欲は誰の心にもひそんでおり、それがかなわないと、なぜ思った通りにならないのかと怒り、返す刀で、それを手に入れた人に嫉妬を抱く。大抵の人はこういう欲に四六時中とらわれ、振り回されています。こうした三毒に振り回されている限り、決して幸せを感じることはありません。ですから、こうした煩悩を振り払わなければならないわけですが、それから逃れようとしても、なかなか逃れなれない、人間の心にからみついて離れないのがこの三毒なのです。』

(この三毒を抑制する方法については、H.P.のフィロソフィの学び、『人生は心に描く「思い」によって決まる』において、説明をさせて頂いています。参考にされてください。)

人生は心に描く「思い」によって決まる その二

前回に引き続き、『人生は心に描く「思い」によって決まる』のお話を紹介させて頂きます。今回は、心を磨き高めるための三つ目の方法についてのお話を紹介させて頂きます。

 

常に心に善き思いを抱き続けるために

 

前回に引き続き、『人生は心に描く「思い」によって決まる』のお話を紹介させて頂きます。

今回は、心を磨き高めるための三つ目の方法についてのお話を紹介させて頂きます。

 

『心を磨き高めるための三つ目の方法は、自分の仕事に精魂込めて打ち込むことです。一生懸命に、一心不乱に自分の仕事に打ち込むのです。雑念妄念を払拭して、今実行すべきことに打ち込んでいきます。それは、ヨガの聖人が瞑想し、自分自身の雑念妄念を払拭して真我に至るプロセスと同じです。一心不乱に仕事に打ち込むことは、座禅を組み、瞑想するのと同様に、自分の心を磨くことに役立つのです。そして、この心を磨き、心を高めるということは、魂を磨き、魂を高めることでもあるのです。

自分の心を磨き高めるためのいちばんよい方法として、お釈迦様は六波羅蜜の教えを説いておられます。「布施」「持戒」「精進」「忍辱」「禅定」「智慧」という六つの修行をすることによって、自分の心を磨くことができ、心を高めていくことができます。これによって、常に素晴らしい「善き思い」を心に抱き続けられるようになります。

「布施」とは、他人様に施しをすることです。「他に良かれかし」と願い、人助けをする利他行のことです。

「持戒」とは、人間としてやってはならないことを定めて戒律を守ることです。「貪(どん)」「瞋(じん)」「癡(ち)」というものは、人生にとって百害あって一利もありません。そういう利己的な心が出ないようにすることも、「持戒」の一つになります。お釈迦様は、「盗んではなりません」、「殺生をしてはなりません」など、他にもいろいろな戒律をおっしゃっています。つまり、このような人間としてやってはならないという戒律を守るのが「持戒」です。

「精進」とは、仕事などに一心不乱に打ち込むことです。「忍辱」は、厳しい人生をいきていくなかで、どんなに辛いことがあろうとも耐え忍ぶことです。耐え忍ぶことが修行になり、心を磨くことにもなるのです。「禅定」とは、忙しいままに生きるのではなく、一日のうち、少なくとも一回ぐらいは心を静かに安定させることです。たとえ座禅を組まなくても、一日に一回、せめて寝る前にでも、心を平静に保つようにすることが大切です。

そして、最後の「智慧」とは、宇宙の真理のことです。宇宙の真理である真の「智慧」は、「布施」「持戒」「精進」「忍辱」「禅定」の五つに努めることで得られる悟りの境地です。』

前回、そして今回の、[心を磨き高めるための三つの方法」を学び、心を磨き高めて行きましょう。

人生は心に描く「思い」によって決まる

今回は、人生の真理 ――人生は心に描く「思い」によって決まる  についてのお話です。

(この文章は平成15年8月22日「第11回盛和塾全国大会の稲盛和夫氏講話の一部抜粋引用です)

 

『 こころに何を描くか

人間にとって、人生にとって「思う」ということの大切さ、重大さについて、今日はお話をしようと思います、塾生の皆さんなら。「思う」ということはたいへん重要な意味を持つということを理解していると思いますが、かねてからこのことを一度まとめて話をしたいと思っておりましたので、私なりにまとめてお話しいたします。

心に描く「思い」「考え」「夢」「想像」「ビジョン」「希望」、あるいは心に描く「哲学」「理念」「思想」というものによってその人の人生は決まっていきます。それはこの現世に生きる上で、絶対的な真理であると思いますし、多くの哲人たちが我々に古から語りかけてきたことでもあります。(中略)

人は、諸行無常、波瀾万丈の人生を生きるなかで、幸運にも災難にも出会います。私はそれが幸運であれ、災難であれ、神が与えてくれた試練であろうと考えています。その試練が幸運であったときは、それを「ありがとう」と素直に感謝の心で受け止め、慢心せず、謙虚さを失ってはならない。その試練が災難であったときも嘆かず、恨まず、腐らず、ねたまず、愚痴をこぼさず、ただひたすらに明るく前向きに努力を続けることが必要です、ということも説いてきました。良いときも悪いときも、心のなかに悪い想念、悪い思いを抱かず、善き想念を抱き続けなければなりません。そうすることで、人生はさらに素晴らしいものになっていくのです。

 

常に心に善き思いを抱き続けるために

では、人間が、常に善き思いを抱き続けられるようになるためにはどうすればよいのでしょうか。そのためには心を磨き、魂を磨き、心を高めることが必要だと、私は言ってきました。

心を磨き高めるための一つの方法は、自分自身の理性でもって、人間としての正しい生き方、人間としてのあるべき姿を繰り返し、繰り返し、自分自身に訴えていくことです、これは、生きていく上でたいへん大切なことです。先賢の教えなどを通じ、常に自分自身に対して、誠実であれ、正直であれ、謙虚であれ、努力家であれ、人には親切であれ、公平公正であれ、正義を重んじ、希望に満ち、感謝の念を忘れるなと、理性で持って訴え続けるのです。そして、それが自分の身につくようになるまで、学び続けるという姿勢が、心を磨き、高めていくためには必要です。(中略)

二つ目の方法は、常に我々の心の中に出てくる、本能に基づく利己心を抑えることです。この利己心は、仏教では「煩悩」呼ばれ、その根源にあるものは、「貪」「瞋」「癡」といわれるものです。「貪」とは、自分だけがよければいいとして、際限なく貪ることです。「瞋」とは怒り狂うことです、「癡」とは、ねたみ、そねみ、恨み、つらみ、嘆き、腐る、不平不満を募らせ、愚痴るというように、愚かでものの道理を知らないことです。

本能心から出てくる、このような三つの煩悩を抑えることが、心を磨き高める二つめの方法になります、「貪(とん)」「瞋(じん)」「癡(ち)」が自分の心のなかに浮かんでこないように、常日頃からそれを抑えるように努めることが必要です。この「貪」「瞋」「癡」という本能に基づく三つの煩悩は、理性で抑えるというよりは、自分の魂の中心にある真我から出てくる意志、良心によって抑えていかなければなりません。本能に基づく利己的な心、煩悩を抑えていこうとすれば、心の中に空間ができます。その空間には、利他の心というものが自然に浮かんできます。利他とは、やさしい思いやりに満ちた心です。それが心のなかを大きく占めるようになっていくわけです。このやさしい思いやりに満ちた心が、心の大半を占めるようになるためには、その対極にある「貪」「瞋」「癡」という本能に基づく利己的な心を、真我から出てくる意志、良心で抑えていくことが必要なのです。

やさしい思いやりに満ちた心とは、美しい心であり、「真善美」を求める心です。また「愛と誠と調和」に満ちた心でもあります。そして、それがまさに利他の本質なのです。利他の本質は、世のため人のために尽くそうという心です。他人様のために、お客様のために尽くそうという心であり、我々が心に抱くべき「善き思い」のことです。』

 

心を磨き高めるための三つ目の方法は、次回の「フィロソフィの学び」においてご説明をさせて頂きます。

フィロソフィの学び     『 善意で物事を解釈していけば素晴らしい人生がひらける』

今回は、物事に対するこころの受けとめ方のお話です。

(この文章は平成18年5月26日京都経済倶楽部「論談塾」で行われた塾長講話の一部抜粋引用)

 

『私はすべてのことを悪意ではなく、善意でよい方向に受けとめていくことが大事だと思っています。なぜなら、思いが人間の肉体にも影響を与えるからです。

例えば、優しい思いやりは、顔に表れます。たまに暗い顔をしていらっしゃる方がいますが、なぜに暗い顔をしているのでしょうか。優しい思いやりの心を持っていれば、暗い顔にはならないはずです。

また思いは、健康にも影響を与えていくことになります。もちろん優しい思いやりの心だけあれば、常に健康なのかといいますと、そうではありません。そういう優しい思いやりの心を持っていたとしても、自然界に住んでいる以上、細菌に侵されたり、病魔に襲われたりします。しかし、たとえ身体が蝕まれて病気になろうとも、善意で物事を考えていくことを貫いていけば、その人はやはり素晴らしい人生を送っていくことができると私はおもっています。

このようなことをこれまで考え続けてきて、最近では、人生というのは誰でも幸せに生きていくことができるものだと思うようになりました。善なるもの、優しい思いやりの心をベースにした思いを自分の心の中に描き、生きていけば、人生は必ずうまくいくはずです。財産よりも、名誉よりも、何よりも常に善き思いを心に抱くことが、一番大事なことなのです。

このことは強調しても、強調しすぎることはないと思います。ラルフ・ウオルドー・トライン著の“人生の扉を開く「万能の鍵」”という本にも、このことが書かれています。カーネギーをはじめとして、米国で大成功した事業家の多くが、この本を読んでたいへん感銘を受けられ、素晴らしい人生を送られたそうです。その本の一節を読ませて頂きます。

 

あなたが抱くどの考えも力となって出ていき、どの考えも同じ考え方を引き連れて戻ってくる。

これは、不変の法則である。あなたが抱くどの考えも、身体に直接に影響を及ぼす。愛や優しい感情は自然で正常であり、宇宙の永遠の秩序に則っている。神とは愛なのだから。愛や美しい感情は生命を分かち与え、身体を健やかにするうえに、あなたのたたずまいを美しくし、声を豊かにし、あらゆる意味であなたをますます魅力的にする。さらにまた、すべてに対して愛を抱く度合いに応じて愛が戻ってくるから、それがあなたの心に直接に影響を及ぼすから、そして心を通じて身体にも影響を及ぼすから、あなたは心を通じて身体にも影響を及ぼすから、あなたは外からも生命力が与えられる。そうなれば精神的な生活も物質的な生活もつねに生き生きとして、人生が豊かになる。

 

つまり、自分の心に善き思いを持ったとき、それは力となって外へ出ていき、善き考え方を引き連れて戻ってくる。また、邪悪な思いを抱けば、それは邪悪な力となって外へ出ていき、邪悪な考えを引き連れて戻ってくるのです。そして、優しい思いやりの心、そういう心を抱くことは愛だともトラインはいっています。宇宙を律しているのは神なのですが、神は愛そのものです。この愛という優しい思いやりにあふれた神の心に合致する思いを抱けば、その人には必ず同じものが返ってきます、愛は人に与えるものですが、同時にその愛は与えた度合いに応じて、自分に返ってきて自分を幸せにしてくれるのです。それは、不変、あるいは普遍の法則なのだということを、この著者も記していますが、まさにその通りだと思います。』

すべてのことを善意でよい方向に受けとめていくことにより、素晴らしい人生を送りましょう。

フィロソフィの学び  『こころを手入れしなければならないという「知識」を「胆識」にまで高めよ』

 

今回は、こころの手入れ(心を高める)の方法について稲盛和夫氏の教えをご紹介させて頂きます。

(平成19年12月18日関西塾長例会(大阪)で行われた塾長講話の一部抜粋引用)

『こころのなかには悪い心と良い心が同居しているといって思い出すのは、ジェームズ・アレンの言葉です。

 

「人間の心は庭のようなものです。それは知的に耕されることもあれば、野放しにされることもありますが、そこからは、どちらの場合にも必ず何かが生えてきます。

もしあなたが自分の庭に、美しい草花の種を蒔かなかったなら、そこにはやがて雑草の種が無数に舞い落ち、雑草のみが生い茂ることになります。

すぐれた園芸家は、庭を耕し、雑草を取り除き、美しい草花の種を蒔き、それを育みつづけます。

同様に、私たちも、もしすばらしい人生を生きたいのなら、自分の心の庭を掘り起こし、そこから不純な誤った思いを一掃し、そのあとから清らかな正しい思いを植えつけ、それを育み続けなければなりません。」

 

「こころ」という庭は、手入れをしなければ雑草が生い茂ってしまう。つまり、「利己」がこころの全てを覆ってしまう。もし、あなたが自分のこころを「利他」という美しい草花で飾ろうと思うならば、こころの庭の手入れをしなければならない、つまり、利己を抑えて利他の心を大きくするようにしなければならない。そのように、ジェーム・ズアレンはいっているわけです。

重要なのは、ここからです。どのようにすれば雑草を取り除き、美しい草花を咲かせることができるのか。これまで私は、こころの庭の手入れを、具体的な方法を、解として皆さんに指し示してはいませんでした。

抽象的には、「こころという庭を手入れし、雑草を取り除き、美しい草花、つまり利他の花を咲かせようと思うならば、 足るを知る ということを知らなければなりません。同時に知性でもって、利己を抑えなさい」と話してきました。しかし、なかなかそれを実行できないのが我々人間の性です。そこでよく考えてみますと、実は我々人間が持っている「知性」は、こころの庭を手入れする力を持っていないことに気がつきました。

知性はあくまでも、こころの庭の手入れが必要であることを知らせてくれるだけで、それを実行させる力は持っていないのです。利己的な心をのさばらせてはならないと知らせてはくれますが、利己を抑え、利他的な心が出てくるようにする実行力は、知性にはないものです。ものごとのよし悪しは知性で判断できます。ですから、「オレがオレが」という欲望一点張りでは人生をダメにするということは教えてくれますが、欲を抑えるということはできないのです。

そこで必要になるのは、私もよく引用をさせていただく、安岡正篤さんがおっしゃっていた「胆識」です。我々は、知性でもって様々な勉強をして、様々な知識を身につけます。しかし、知識がいくらあっても知っているだけでは使えない。知識を「見識」にまで高め、さらには、見識を胆識にまで高めなければ実行することはできないということを安岡さんはおっしゃっています。

何が正しいことなのかを、ただ知識として知っているだけでなく、知識を、「こうでなければならん」という見識にまで高めるには「信念」が必要です。知識にその人が持っている信念が伴ったときに、はじめて知識は見識に変わっていくのです。そしてその見識を、実行することのできる胆識に変えていかなければならない。そのためには、強力な「意志」の力、「胆力」が必要になります。

自分のこころのなかによい自分と悪い自分がいて、悪い自分を少し抑え、よい自分が多く占めるようにしていこうと思えば、足るを知り、「ええ加減にせよ」と自らにいいきかせなければなりません。その上で、悪い自分を抑えることを実行に移していくには、その人が持っている信念の力、意志の力が必要なのです。ヨガなどの修行をしたり、辛酸をなめて自分を鍛えたりすることによって宇宙の真理に近付かれた方々の多くは、一様にそうおっしゃっています。

信念、意志は、真我が発現してでてくるものです。真我から出てくるこの信念と意志を用いなければ悪い自分を抑えることはできないのです。』

素晴らしい教えかと思います。「知識」を「見識」まで高め、さらには、「見識」を「胆識」まで高めなければフィロソフィなどの素晴らしい教えは実行することはできないということを肝に銘じたいと思います。

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