鮨処なごやか亭

株式会社三ツ星レストランシステム

フィロソフィの学び  『こころを手入れしなければならないという「知識」を「胆識」にまで高めよ』

 

今回は、こころの手入れ(心を高める)の方法について稲盛和夫氏の教えをご紹介させて頂きます。

(平成19年12月18日関西塾長例会(大阪)で行われた塾長講話の一部抜粋引用)

『こころのなかには悪い心と良い心が同居しているといって思い出すのは、ジェームズ・アレンの言葉です。

 

「人間の心は庭のようなものです。それは知的に耕されることもあれば、野放しにされることもありますが、そこからは、どちらの場合にも必ず何かが生えてきます。

もしあなたが自分の庭に、美しい草花の種を蒔かなかったなら、そこにはやがて雑草の種が無数に舞い落ち、雑草のみが生い茂ることになります。

すぐれた園芸家は、庭を耕し、雑草を取り除き、美しい草花の種を蒔き、それを育みつづけます。

同様に、私たちも、もしすばらしい人生を生きたいのなら、自分の心の庭を掘り起こし、そこから不純な誤った思いを一掃し、そのあとから清らかな正しい思いを植えつけ、それを育み続けなければなりません。」

 

「こころ」という庭は、手入れをしなければ雑草が生い茂ってしまう。つまり、「利己」がこころの全てを覆ってしまう。もし、あなたが自分のこころを「利他」という美しい草花で飾ろうと思うならば、こころの庭の手入れをしなければならない、つまり、利己を抑えて利他の心を大きくするようにしなければならない。そのように、ジェーム・ズアレンはいっているわけです。

重要なのは、ここからです。どのようにすれば雑草を取り除き、美しい草花を咲かせることができるのか。これまで私は、こころの庭の手入れを、具体的な方法を、解として皆さんに指し示してはいませんでした。

抽象的には、「こころという庭を手入れし、雑草を取り除き、美しい草花、つまり利他の花を咲かせようと思うならば、 足るを知る ということを知らなければなりません。同時に知性でもって、利己を抑えなさい」と話してきました。しかし、なかなかそれを実行できないのが我々人間の性です。そこでよく考えてみますと、実は我々人間が持っている「知性」は、こころの庭を手入れする力を持っていないことに気がつきました。

知性はあくまでも、こころの庭の手入れが必要であることを知らせてくれるだけで、それを実行させる力は持っていないのです。利己的な心をのさばらせてはならないと知らせてはくれますが、利己を抑え、利他的な心が出てくるようにする実行力は、知性にはないものです。ものごとのよし悪しは知性で判断できます。ですから、「オレがオレが」という欲望一点張りでは人生をダメにするということは教えてくれますが、欲を抑えるということはできないのです。

そこで必要になるのは、私もよく引用をさせていただく、安岡正篤さんがおっしゃっていた「胆識」です。我々は、知性でもって様々な勉強をして、様々な知識を身につけます。しかし、知識がいくらあっても知っているだけでは使えない。知識を「見識」にまで高め、さらには、見識を胆識にまで高めなければ実行することはできないということを安岡さんはおっしゃっています。

何が正しいことなのかを、ただ知識として知っているだけでなく、知識を、「こうでなければならん」という見識にまで高めるには「信念」が必要です。知識にその人が持っている信念が伴ったときに、はじめて知識は見識に変わっていくのです。そしてその見識を、実行することのできる胆識に変えていかなければならない。そのためには、強力な「意志」の力、「胆力」が必要になります。

自分のこころのなかによい自分と悪い自分がいて、悪い自分を少し抑え、よい自分が多く占めるようにしていこうと思えば、足るを知り、「ええ加減にせよ」と自らにいいきかせなければなりません。その上で、悪い自分を抑えることを実行に移していくには、その人が持っている信念の力、意志の力が必要なのです。ヨガなどの修行をしたり、辛酸をなめて自分を鍛えたりすることによって宇宙の真理に近付かれた方々の多くは、一様にそうおっしゃっています。

信念、意志は、真我が発現してでてくるものです。真我から出てくるこの信念と意志を用いなければ悪い自分を抑えることはできないのです。』

素晴らしい教えかと思います。「知識」を「見識」まで高め、さらには、「見識」を「胆識」まで高めなければフィロソフィなどの素晴らしい教えは実行することはできないということを肝に銘じたいと思います。

人生の目的、意義は 「世のため、人のために善きことを実践し、心を高めること」

今回のフィロソフィの学びのテーマは人生の目的、人生の意義についてです。稲盛和夫氏の教えをお伝えさせて頂きます。

 

『元来、人間は自らの意志を持って、誕生するわけではありません。両親から生を授かり、気がつけばこの世に存在しているだけのことです。ならば、この世に生を受けたことなど偶然であり、人生に目的などなく、また一人一人の人間に存在意義などないという見方もあるかもしれません。

しかし、私はそうではなく、人間の存在は必然であり、人生には明確な目的と意義が存在すると考えています。

物理学について勉強されている方は、「エネルギー保存の法則」をご存知のことと思います。いかなる物理的、化学的変化があろうと、宇宙全体のエネルギーは一定不変であるというものです。つまり、微々たる質量しか持たない石ころ一つであっても、宇宙の微妙なバランスをとるために不可欠な存在であり、無駄なものなど何一つ宇宙に存在しないのです。

また、生物学では、「食物連鎖」があります。炭酸同化作用で成長した植物を草食動物が食べ、その草食動物を肉食動物が食べ、さらに肉食動物は土に返り、植物の成長を促すというものです。これも、連鎖を構成する、たった一つの動植物が絶えただけで、連鎖全体が成立しなくなるという微妙なバランスのもとにあり、不必要なものは一つとして存在していないのです。

つまり、自然科学の見地からも、この宇宙にあるものには、すべて必要性があり、存在すること自体に価値があると考えられるのです。

ましてや人間は、深い知恵を有し、強い意志を持ち、豊かな感情を持ち、高度な精神活動を営んでいます。もし、路傍の石にさえ存在意義があるならば、人間にはより高次元の存在意義があってもいいと私は考えるのです。

その存在意義とは何でしょうか。すばらしい知的能力を有し、高度な文明を築き上げることのできる人間にふさわしい崇高な存在意義、それは、この宇宙に存在するすべてのものに対して、善きことをしてあげるということではないかと、私は考えています。

世のため人のために善かれと思うことを行う、そのような利他、あるいは愛や慈悲といった行為に努めることこそが、人間の価値をより高め、人生を意義あるものにするのではないかと思うのです。

例えば、自己犠牲を払ってでも家族や友人のために尽くす、身寄りのない老人や恵まれない子どもたちのために何かしてあげる、または企業経営を通じ多くの従業員の物心両面の幸福に努め、さらには雇用や納税、科学技術の進歩などに寄与することで、国家や社会の発展に貢献するというようなことです。

しかし、ともすれば人は自らの立身出世など利己的な願望を、人生の目的に据えがちです。例えば、一流の大学に行って、高級官僚や政治家といった社会的に高い地位の職業に就き、人々の上に立ち、経済的にも豊かになりたい。あるいは学術や芸術の分野で高い評価を得て、社会から広く認知されることを願う、といったように、自らが「功なり名を遂げる」ことを、まずは人生の目的とするのです。

しかし、いくら立身出世を遂げ、高い地位と豊かな財産、社会的な名誉を獲得したとしても、やがて死を迎えるときに、それらを死出の旅路に携行することはできません。死にあたり、肉体を放棄した後に残りますのは唯一、魂だけであると私は考えています。

魂しか残せないなら、私は豊かな魂を残したいと考えます。そして、それこそが人生の目的でないかとも思うのです。地位を築いたとか、財産を殖やしたとか、名誉を勝ち得たなどということも大切なことではありますが、決してそれが、最終的な人生の目的ではないはずです。

年齢を重ね、人生の最期を迎えるときに、「あの人は若い頃に比べると、人柄が善くなり、たいへん立派になられた」と言われるようになることが、人生における真の功績であり、人生の勲章ではないかと私は思うのです。

つまり、人生を生きる中では、「心を高める」、心を浄化する」、心を純化する」、「心を磨く」ということに努め、魂を美しく気高いものに昇華させていくべきなのです。原石のような魂をその生涯をかけて磨き上げていくことですばらしい人格者になる、それこそが人生の意義だと私は考えています。』

フィロソフィの学び   『世のため、人のため』       

今回は、全人類が幸せになるために最も優先する必要があると考える大切な考え方、「世のため、人のため」についてお話をします。

稲盛和夫氏が実践で証明された、 「人生・仕事の結果の方程式」は下記のとおりです。

人生の結果、仕事の結果=考え方 × 熱意 × 能力

 

『この方程式にある「考え方」というものは自由なのだということが、戦後の民主主義の中で強く主張されてきました。人間は本質として自由であるという点から、考え方や人生観は自由であっていいし、百人いれば百通りの考え方があってしかるべきと言われ、我々はそれを金科玉条としてきたのです。

つまり、「考え方」は人生や仕事の成果をマイナスにしてしまうかも知れないという程、重要なファクターでありながら、個人の自由だということが最優先され、それを強制するごときはファッショ扱いをされてきたのです。

しかし、果たして、「考え方」は各人各様であってもいいのでしょうか。』

 

次のような例でご説明をさせて頂きます。

  1. 『科学に携わる我々が作り出した人工物によって、近代文明が築かれ、我々の生活は豊かになってきました。しかしその反面、この地球を病めるものにもしてしまいました。また、DNA操作や細胞の核操作によって、生命の尊厳まで脅威にさらすようなことになってきました。』
  2. アメリカ大統領は「アメリカファースト」といい、アメリカにとって一番良いと考える、経済政策や軍事政策を採りはじめました。中国は、中華思想を前面に打ち出し、中国にとって一番良いと考える政策を採りはじめ、その結果、アメリカと激しく対立をしています。ロシアのプーチン大統領然りです。韓国も、そして日本もそのような方向に進んでいるように思えます。それぞれの指導者たちは、自分の考えはそれぞれ正しいと考えています。(註・フィロソフィの学びの管理者が作成した文章です)

 

『もちろん、様々な考え方があってもいいと思います。しかし、その考え方には、ただひとつ欠かしてはならないキーワードがあると私は思っています。それは「世のため、人のため」ということです。どんな哲学、思想を持とうとも、「世のため、人のために尽くす」という考え方だけは、人類共通の基盤として絶対に持たなくてはならないのです。

「世のため、人のため」に尽くすということは、宇宙本来の意志であります。人間の考え方は自由であろうけれども、その根柢に我々を作った宇宙が本来持っているのと同じような「愛」にあふれた、つまり「世のため、人のため」という考え方を持たなければならないと思います。』

この「世のため、人のため」という考え方を持てば、法律論をかざして正当な意見の対立でもめているところでも必ず「愛と誠と調和」にみちた結論が導き出されると確信します。

フィロソフィの学び   『心の構造図』   その二

前回に引き続き、心の構造についてのお話をさせて頂きます。稲盛和夫氏は、心の研究において、2つの「心の多重構造」をお考えになりました。その一つは、前回の「心の構造図 その一」でお話をさせて頂きました。

今回は、「心の構造図その二」をご説明させて頂きます。

『もう一つ別の方法は、前回の「心の構造図①」の中心にあった真我と、その外側を包む自我を、次の「心の構造図②」のように、多重構造の円の中心に置き、半分を真我に、もう半分を自我とするのです。そして、その外側を感性や知性が取り囲んでいるものと解釈をするのです。真ん中に真我があって、その外側に自我があるのではなく、真我と自我が心の真ん中に相対し、同居していると考えるのです。このように考えたほうが、私のいう自我を抑え、真我を発揮させるということが理解しやすいのです。つまり、心の中心に、真我と自我が同居していて、真我の方が自我を上回り、六割になったり、七割になったり、八割になったりしていくということが、心が高まり、人格が高まっていくということだと考えるのです。日々精進を重ね、心を磨くことによって、真我が占める割合が増していき、自我の占める割合が減っていく、それが「心を高める」ということなのだと理解する方が、わかりやすいように思うのです。心は多重構造をとっていますが、その中心だけは真我と自我が相対し、同居していると理解するのです。あるいは、真我とは利他の心であり、自我とは利己の心ですから、人を慈しみ、人を助けてあげようという利他の心と、自分だけよければいいという利己の心が人間の心の中心でせめぎあっており、それぞれが占める割合がどうなっているかによって、その人の人間性が決まると考えてもいいでしょう。(中略)

このように、心というものは、利他と利己の二つの心が同居し、せめぎあっていると考えれば、頭がいいから研究ができるとか、仕事ができるといった能力の差はありますが、それらを超えて、この利他と利己の比率によってこそ、その人の人物のレベルが決まるのではないかと思います。人間ができているとか、すばらしい人間性をもっているということが、この利他と利己の比率で判断することができるように思うのです。

われわれが経営者として、大勢の部下を使って仕事をしていく場合でも、また一個の人間として人生を生きていく場合でも、心の中核をなす真我つまり利他の心を大きくし、自我つまり利己の心を少なくしていくように努める。その繰り返しによって、人間が立派だとか、人間ができていると周囲から言われるようになるのです。また、経営や人生を成功に導くことができるのです』と教えて下さっています。 「心の構造図その一、その二」でお話をしました教えに従い、心を高めていくことによって、幸せな人生をおくることができると確信します。

フィロソフィの学び   『心の構造図』 その一

すでに、幸せな人生を歩むためには、人生の方程式における考え方、そして良き心が必要であることをお話しました。又、経営においても、人生においても「心を高める」ことが大切であることもお話をさせて頂きました。今回は、その心について学んでいきます。

まずは、稲盛和夫氏が考える「心の構造図」についての学びです。

『心の構造を明らかにするには、医学・生物学からのアプローチ、また心理学からのアプローチ、さらには哲学からのアプローチなど、いろいろな領域からの切り口があろうかと思います。下部に示していますのは、私が自分の思想、哲学に照らし、形而上学的に分解していった「心の構造図①」です。』
註)ここで、哲学的に難しい言葉である「形而上」という言葉について説明をしておきます。
・形而上(けいじじょう)とは、形のないもの、形を超えたもの。精神的なもの
例えば、形のないものは「人の気持ちや心」、形を超えたものは「神様や仏様」のこと。

・対義語として、形而下(けいじか)という言葉がありますが、
。形而下(けいじか)とは、形があるもの。物質的なもの。感覚でとらえられる物質的な
世界をいいます。

・「形而上学的」とは、「目に見えない本質を追求する学問的」ということになります

『私は、人の心とは、このように様々な要素が幾層にも重なった、同心円状の多重構造になっているものと考えています。なぜなら、そう考えることで、様々なことが説明できるし、人間がよりよく生きることができるのではないかと考えるからであります』

心の構造のいちばん奥には、良心、理性、あるいは真善美、愛と誠と調和に満ちた、高次元の「真我」が存在すると、私は考えています。よく「良心の呵責に耐えかねて」と言います。悪さをしたことで、自分のなかにある良い心にとがめられるという意味ですが、そのときの良い心、良心が、真我にあたります。この真我の外には、われわれの命を維持するために必要な貪欲や闘争心といった「本能」があります。欲、怒り、愚痴・不平不満などの悪しき思いも、この本能に基づくものです。これらを、仏教では「煩悩」と言います。
この本能の外側に、好き嫌いや喜びや怒りなどといった「感情」があります。またその感情の外には、見る、聞くといった五感に伴う「感性」があり、さらにその外側には「知性」が存在しています。このなかで、本能と感情を合わせたものが「自我」であり、その「自我」と、中心の「真我」を合わせたものが「魂」であります。(中略)
低次元の自我とは、「オレがオレが」と主張する欲望、「利己」と言い換えていいでしょう。一方、真我は他によかれかしと願う、「利他」の心のことです。人を慈しみ、人を助けてあげようという、やさしい思いやりの心のことです。人間は、どうしても利己的な自我が過剰になりがちですから、自我を抑えるということが大切になってきます。そのために、仏教では「足るを知る」ということを教えます。「そんなに欲張らなくでもよいのではないか」などと、利己的な自我を抑えていくのです。
そのようにして自我を抑えること、つまり真我の周囲を取り巻いている自我の皮を薄くしていくことに努めていきますと、高次元の真我、つまり良心、理性というものが出やすくなってきます。そして、判断の基準を真我、つまり良心や理性に置き、それによって判断できるようになっていきますと、誤った決断をするようなことがなくなるのです。(中略)
では、具体的にどのようにして、本能にもとづく欲と怒りと愚痴を抑えて、心の中心にある真我、つまり良心、理性を発揮しやすいようにしていくのでしょうか。
それには、心の構造のいちばん外側に位置する知性を使って、最も中心にある理性を呼び起こすという方法があります。あるいは、知性で直接本能を抑えるということもできるはずです。我々現代人は理屈っぽいものですから、「それはおかしい。道理に合わないではないか。そんな自己中心的で欲張ったことは、理屈からいってもおかしいことではないか」というように、知性でことの是非を理解し、自らを戒めていくことができるはずです。
そうして、知性を使って本能を抑制し、本能がだんだん薄くなってくると、自然と心の中心にあります、良心とか理性が働いてくれることになります。まずは、このようにして、知性を駆使して、本能を抑えていくという方法があります。
また、もう一つ別の方法があります。』もう一つ別の方法は、次回の説明にさせて頂きます。

フィロソフィの学び             -本能心を抑える-

今回は、幸せな人生をおくるための考え方として、心のもち方を考えてみたいと思います。人間は、日々の生活の中で瞬間的に判断をするとき、80%~90%の割合で、本能心、又は感情から判断しているといわれています。その結果、周囲の方の心を傷つけたり、損か得かの判断から正しい判断ができなかったりします。そのために人生において誤った方向へ向かう結果になることが少なくありません。そのようなことの無いようにするためには、次のようなフィロソフィの学びを稲盛和夫氏から頂きました。

『本能心を抑える』
人間は本能と知性の両方を持ってうまれてきます。ものを食べたり、飲んだり、喧嘩をしたり、所有欲や妬みを感じたりするのは、すべて自分自身の命を守り、家族の繁栄を図る自己保存本能のなせる業なのです。その本能のなかで、一番強いものが、「貪欲」、「怒り」、「愚痴」、の三毒といわれる三つの煩悩です。本能、煩悩は、すでにお話した通り、自然が我々に与えてくれたものであり、もしなければ、生きていくことはできません。しかし、もしこの本能、煩悩だけで生きれば動物と同じです。我々は、知性でもって、自分が持つこの本能、煩悩をコントロールしなければ、日常のすべてが、「貪欲」、「怒り」、「愚痴」の三つで支配されてしまうのです。頭で考えるのではなく、反射的にそれらが出てきてしまうのです。反射的に損得を考え、反射的に腹を立て、反射的に不満を募らせる。頭で一旦、考えているのではありません。瞬間的に出てくる、本能、煩悩に我々の日常の行動は支配されてしまうわけです。本能、煩悩がなければ人間は生きられませんが、強くなりすぎてしまうと利己心、つまり悪しき心を生んでしまい、身を滅ぼしてしまいます。何としても本能、煩悩を抑えて利他の心がでてくるようにしなければなりません。その際に必要なのが知性なのです。「自分だけがよければいいというのはおかしいではないか。みんなが幸せになっていくように考えたらどうだ」などと、知性でもって自らに言い聞かせなければなりません。本能、煩悩を抑えつけ、「感謝の心が大事だ、思いやり、慈しむ心が要るのだ。」ということを、日常茶飯、自分自身に言い聞かせていく、それ以外に方法はありません。利他心が常に出るように、自分に教えていく、そういう努力を続けていくことが必要です。また、利己的な欲望が出てきた瞬間に、それに気づき、意識してそれを抑え込もうと努力することが必要なのです。本能心をコントロールすることを覚えなければなりません。それが知性を高め、正しい判断を行なう能力を与えてくれるのです。

フィロソフィの学び      『宇宙の意志、愛と誠と調和の心』

ここでは、稲盛和夫氏の教え、『愛と誠と調和の心をベースとする』を引用させて頂きます;

『宇宙の意志とは、愛と誠と調和の心と言い換えることができます。』

『人生においても仕事においてもすばらしい結果をうみだすためには、ものの考え方、心のあり方が決定的な役割を果たします。人を成功に導くものは、愛と誠と調和という言葉であらわされる心です。こうした心は、私たち人間がもともと魂のレベルでもっているもので、

「愛」とは他人の喜びを自分の喜びとする心
「誠」とは世のため人のためになることを思う心
「調和」とは自分だけでなくまわりの人々みんなが常に幸せに生きることを願う心です。

この愛と誠と調和を尊ぶ心から出てくる思いが、その人を成功に導いていく基盤となるものなのです』

というフィロソフィにある「愛と誠と調和の心」をもつためにはどうすれば、よいのか。

『もともと人間の本質とは、愛と誠と調和に満ちた美しいものであるはずなのですが、魂が肉体をまとっていますから、最初は肉体が発する欲望が出てきてしまうのです。勇気を持ってこの魂の外側を覆っている欲望を少しでも抑え、自分の本質である愛と誠と調和に満ちた魂が出てくるようにしなければなりません』

と愛と誠と調和に満ちた心を出すために欲望を少しでも抑えることが必要であることを稲盛和夫京セラ名誉会長は教えて下さっています。

なごやか亭仲間が学ぶ幸せになるためのフィロソフィ、『人生の結果、宇宙の意志、愛と誠と調和、心』

『なごやか亭の仲間が学んでいる人生で幸せになるためのフィロソフィ』

人間の人生の結果、仕事の結果というものは、次の方程式で表されることを京セラ名誉会長の稲盛和夫氏は、ご自身の人生で、経営の実績として証明をされました。証明された裏付けとなる主な実績は下記の通りです。稲盛和夫氏は、世界的な経営者であるとともに、その哲学を実業の世界において実践しその成果を証明された実践哲学者とお呼びしても差支えないのではないかと私は考えます。

 

『人生の結果、仕事の結果=考え方 × 熱意 × 能力』

 

1)京セラを創業され、売り上げを一兆数千億までの素晴らしい会社に育て上げられた事。
2)KDDIを創業され、売上5兆円を超える会社に育て、日本における通信料金の低価格化に大きな貢献を果たされた事。
3)JAL(日本航空)を倒産から三年で再建し、世界屈指の優良航空産業に再生された事。

 

ここで、お話をさせて頂く考え方は、私自身が稲盛和夫氏から教えて頂いた考え方であり、 稲盛和夫氏の言葉をそのままお伝えしているということをおことわりさせて頂きます。

 

人生の方程式についての解説は、本ホームページでもご紹介をさせて頂いています。
その人生の方程式では「考え方」が、最も大切であると説明をしました。又、「考え方」は「心を高める」の「心」とも同じだと考えています。「熱意」も心が産み出すものですから、上記の人生の方程式から見ても、いかに「心」というものが大事なのかということが分かると思います。

 

『考え方=心』
今回は、この「心」についてご説明をさせて頂きます。
人生の結果、仕事の結果において素晴らしい結果、幸せな結果を産み出すためには、「良い考え方」、「良い心」が必要だということです。良い心とは、清らかな心、美しい心のことです。

 

では、なぜ心が美しく純粋であれば人生はうまくいくのでしょうか。
それは、そのような美しい心が宇宙の意志と調和するからです。では、その宇宙の意志とはどんな意志なのでしょうか。

 

『ここでは、宇宙に流れる「宇宙の意志」・宇宙の意志』と調和する心 についてお話をさせて頂きます。』

 

世の中の現象を見ると、宇宙における物質の生成、生命の誕生、そしてその進化の過程は偶然の産物ではなく、そこに必然性があると考えざるを得ません。
この世には、すべてのものを進化発展させていく流れがあります。これは「宇宙の意志」というべきものです。この「宇宙の意志」は、愛と誠と調和に満ちています。そして私たち一人一人の思いが発するエネルギーと、この「宇宙の意志」とが同調するのか、反発しあうのかによってその人の運命が決まってきます。宇宙の流れてと同調し、調和をするようなきれいな心で描く美しい思いをもつことによって、運命も明るくひらけていくのです。

 

『宇宙には「宇宙の意志」と呼べるものがあるのではないかと稲盛和夫氏は気がついたのです。』

我々のいる太陽系は、銀河系に属しています。この銀河系には、太陽系に匹敵するものが何億もあるだろうと言われています。そしてまた、この銀河系に匹敵する銀河も、この宇宙には数えきれないほど存在するそうです。
このように、宇宙は途轍もなく大きなものですが、現代の物理学者に言わせますと、宇宙の始まりは、ごくひと握りの超高温・超高圧の素粒子の塊だったそうです。それがあるとき大爆発を起こしてこの宇宙を作り、現在でもまだ膨張し続けているというのです。この「ビッグバン・セオリー」は、最近では宇宙物理学者の観測データなどによって、正しいことが証明されてきています。
途轍もなく巨大な宇宙が、なぜひと握りの素粒子からできたのかと不思議に思われるでしょうが、最先端の物理学の知識をもって計算してみるとそうなるのです。このことをとらえて、宇宙は「空」から生まれたといってもいいのかもしれません。
仏教では「色即是空」といい、在るように見えるものは実は全部空なのだと教えています。現代物理学のいうごくひと握りの素粒子の塊が爆発して広大な宇宙ができていったということは、もともとこの宇宙は空だったと言えます。また、真空からこの宇宙が生まれたという説まであります。真空というのは本来「何も無い」という状態ですが、それは膨大なエネルギーを含んでいたというのです。
ここで、原子の構造について考えてみたいと思います。周期表に出てくる原子のなかで 一番最初に登場し、最も質量が小さいものは水素原子です。水素原子には原子核がひとつあって、その周囲を電子がひとつ回っています。原子核は、陽子と中性子、そして中間子で構成されています。

最新の大型の加速器を使って、中性子や陽子を猛烈なスピードで衝突させて壊しますと、そこから素粒子が出てきます。このことから、複数の素粒子が結合して陽子や中間子、中性子が作られたということがわかりました。
宇宙開闢のとき、もともとあった素粒子がくっついて陽子をつくり、中性子を作り、中間子を作り、その中間子の働きで陽子と中性子が結合して原子核を構成した。そして原子核の外側に電子がひとつトラップされて水素原子ができあがった。
原子同士がくっつくことを「核融合」といい、水素爆弾の原理でもありますが、この核融合によって水素原子同士がくっつきますと、ひとつ質量の大きい原子ができます。周期表によれば現在約百種ぐらい(約20年前の状況)の原子があるとされていますが、もともとはひとつの素粒子だったのが、このようにして次から次へと結合して、現在の物質世界を構成する各種の原子を作っていったのです。
さらには、その原子同士が結合して分子を作り、分子が結合して高分子を作ります。また、
その高分子は、DNAという遺伝子が加わることによって生命体に変わっていきます。地球上に生まれた最初の生命体はアメーバみたいな原生動物であったわけですが、そのアメーバが進化を繰り返し、我々人類のような高度な生物までを作り上げていきました。
もともと、この宇宙はひと握りの素粒子から始まったのです。しかし、それは一瞬たりとも停滞することなく物事を進化発展する方向へすすめていこうという流れがあるのです。この流れを「宇宙の意志」と表現することができるのではないかと私は考えています。
一瞬たりとも留まらないで、森羅万象あらゆるものを進化発展する方向へもたらそうとする流れ、もしくは、意志のようなものが、この宇宙空間に偏在している。だから、「私はもう進歩しなくても結構」とか、「私の会社はもう伸びなくてもいい」と考えても、この宇宙はそうさせてくれない。「どんな会社であっても伸びるのだ」と言わんばかりに、すべての生きとし生けるものを進歩発展する方向へ進めていこうとするはずです。
宗教家は、「宇宙に愛が充満している」と言います。仏教ではこのことを「慈悲の心があまねく存在している」と表現しています。これと同じ意味で、すべてのものを進化発展する方向へ導くような意志が、この宇宙にはあるということなのです。冒頭で紹介した、世界的な数学者である広中平祐さんや、京都大学教授で宇宙物理学の佐藤文隆さんから宇宙創成の話を聞いたときに、私は「それは、宇宙の意志ということで説明できるのではないか」と自分の考えを述べたことがありましたが、彼らも「そのように理解することができるのかもしれません」と答えてくれました。広中先生や佐藤先生のような。あくまでも自然科学に立脚した考え方をされる人達でも、形而上学的な、または精神的なことに理解を示されるようになっているのです。

 

宇宙に流れている意志とは、すべてのものを慈しみ、すべてのものを愛し、すべてのものをよくしてあげたい、という思いであり、自分だけがよくなろうという意志の対極にあるものです。この宇宙に存在する森羅万象あらゆるものを一方的によくしてあげたいという愛の流れと調和をする、同調する心を我々が持っていなければならないのです。
この愛に満ちた心を持つために、「心を高める」ということが必要となるわけです。

 

無生物を含めて、宇宙に存在する森羅万象あらゆるものは、一瞬たりとも留まらずに進化発展を続けていると言いました。無生物である素粒子でさえ、またどんな小さな生物や植物であっても、生成発展を繰り返し、必死で生きているわけです。同様に、経営者も、自分の会社を立派にするという、一点で、誰にも負けない努力を続けなければなりません。自分で自分を助けなければ誰も助けてくれる者はないという思いで、懸命に働くのです。相手との勝ち負け、つまり、相手を打ち負かすために働くのではありません。自分自身が生きていくために、自分の会社を立派にするために、必死で働くということです。

 

『 そこで難しいのは、「どうすれば愛に満ちた心を持てるか」ということです。 』

 

実際には、私自身も含めて、持てやしないのです。持てないけれども、「持とう」と思うことが大事なのです。ほとんどの人は心の大切さに気づかず、心を立派にしようなどということに関心を持ちません。しかし、まずは心を高めなければならない、心を美しくしなければならないと思わなければならないのです。そうは言っても、我々は煩悩、欲にまみれた人間ですから、なかなかそうはなれない。なれないけれども、「ならなければならない」と思って反省する。この反省があるから、努力しようと心がける。このことが人生にとって大切なのです。

本当に美しい心を持った人は、「悟りをひらいた人」でもあるのでしょうが、凡人がいくら努力をしても悟れるわけがありません。お釈迦様が悟りをひらかれた二千五百年前から今日に至るまで、そうして悟りをひらいたという人というのはほとんど出ていないわけです。
だからこそ、せめて道を少しでも極めるために努力しようと思っている人間でありたいと思うのです。そのように自分自身で心を高めよう、心を浄めようと努力をしている人は、いわば修行をしているようなものだと思います。またその人間にとって、与えられた人生とは、心を美しくするための道場となるはずです。

 

少々、難しい話をご紹介したかと思いますが、「宇宙の意志」について理解をしていただけたでしょうか。そして、心が美しく純粋なであれば、その美しい心が「宇宙の意志」と調和すること、その結果人生がうまくいくことを理解して頂けたでしょうか。

私ども、なごやか亭を運営する「株式会社 三ツ星レストランシステム」は、稲盛和夫氏の教えを、職場で働く従業員の皆様と共に学んでいます。

 

『稲盛和夫氏の考え方、心を学んでいる弊社の経営理念を下記に示します。』

『 我々は 食のおいしさ 楽しさを通じ
人々の喜び 感動を創出して
人類社会の豊かなくらしと平和に貢献し
全従業員の物心両面の幸福を追求する 』

三ツ星レストランシステムの経営理念、フィロソフィ

■ 経 営 理 念 ■

我々は  食の美味しさ  楽しさを通じ

人々の喜び 感動を創出して

人類社会の豊かな暮らしと平和に貢献し

全従業員の物心両面の幸福を追求する

 

 

 

 

■フィロソフィの学び■

 

三ツ星レストランシステムが学んでいる

フィロソフィの学びの代表的なフィロソフィをご紹介します。

 

□ お客様第一主義を貫く

 

□ 愛と誠と調和の心をベースにする

 

□ 感謝の気持ちを持つ

 

□ もうダメだという時が仕事のはじまり

 

□ 成功するまで諦めない

 

□ 人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力

 

□ 夢を描く

 

□ 能力を未来進行形でとらえる

 

□ 優しい思いやりの心をもつ、利他のこころをもつ

 

 

 

株式会社三ツ星レストランシステムは、

京セラ・JAL名誉会長稲盛和夫氏の主宰する「盛和塾」で

京セラフィロソフィをはじめとする経営の心を

学んでいます

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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